日本の文化
神道にみられる日本の文化
- /神道は宗教か?/神道は宗教ではない。/神道とは/神とは/日本の仏教は神道に同化/水で浄める/神道は縄文時代から/神社の立地の不思議さ/紀記にみられる神々/「古事記」での神とは/記紀神話の神々・・気配としての神/霊魂の感じ方/神道は日本文化/言霊信仰/命と神は同じ意味/神に近い存在/生活に息づく神道/祭りの意味/現代に残る行事 ※見出しです。クリックすると各記事に跳びます。
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●神道は宗教か?
- 毎年、日本人のほとんどの人は、お正月に神社か
お寺に初詣、参詣に行きます。
神社とお寺のどちらにもお参りに行く人も多いでしょう。 - 外国人には、その光景が不思議に映るのだが、
日本人にとっては毎年の恒例の
行事であり、 疑問に思うことなどないはずです。 - それは、宗教観の違いなのです。外国人にとっての
宗教とは、キリスト教、
イスラム教、ヒンズー教などですが、 ひとりの神様の教えを守り、ひとりの神様に
祈りを 捧げることなのです。 - 外国人は、お寺と神社どちらも宗教と思っているから、 異様に思うのです。
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●神道は宗教ではない。
- 近代の宗教の定義は、「宗教とは、提唱した人が神のお告げや悟りを経典などに、
何らかの教えとしてまとめた ものがあること」です。 - キリスト教ならば「聖書」、イスラム教は、マホメットが
アラーの神からの啓示・説教を
「コーラン」という 散文詩の経典にまとめられています。 - 仏教には、お釈迦様の教えを弟子たちが書き残した 多くの仏典があります。
- それに対して、神道は経典・教典にあたるものがないのです。
- また、3大宗教には、厳しい戒律があるが、神道には 戒律はありません。
- もちろん、日本人の多くが神様を信仰しているという点
からは宗教という解釈
もあるし、国の統計では神道を 宗教として扱っています。 - でも正しくは、信仰であって、宗教ではないのです。
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●神道とは
- 神道とは、神の「道」と記します。辞書では「道」の意味には「人の守るべき義理。
宇宙の原理。教え」とあります。(岩波国語辞典) - また、「神への道」を「神からの道」という解釈もできます。
- 「神からの道」とは、宇宙創成から始まったという神話
や伝承として捉えられてきた
「産霊(むすび)」のことなのです。 - 「神への道」とは、その根源的な贈与に対して心から
感謝し、畏敬し、返礼していく
道であり、それが祭りや 祈りなのでしょう。 - つまり、さまざまな神があり、それらを信仰するのが「道」といえます。
- 神道は非常に寛容であり、すべてのものを受け入れる
日本人の根底には、神道の
心が受け継がれている のです。 -
●神とは
- では、古代の人々が捉えていた神とはどのようなものであったのか?
- 古代の人たちは、、多くの概念を一つの言葉で表しました。 「神」という言葉は、「上」と同じ意味であり、人間よりも 上位にある偉大なものをすべて 「かみ(神、上)」と考えました。
- また、日本の古代の人々は、神は人間以上の力を持つが、 人々を威圧して支配するものではない考えていました。 人間も神々も平等な価値を持つ霊魂と捉えていた のであります。
- 日本の神々は、太陽の神、月の神、海の神などの 「自然神」と祖先の霊などの「人格神」に分かれています。
- あらゆるものが、まつられることによって神になるのが
神道の世界である。
それ故、外国人たち、一神教を信仰する人々には理解 できない神の概念といえよう。 - TOPに戻る
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●日本の仏教は神道に同化
- 仏教については後に詳しく書くが、最初に知っておいて欲しいのは、 仏教は先祖供養、お盆、お彼岸という 行事を司っているのだが、実は、これは神道の祖先崇拝を先祖供養と いうことで取り入れて広めていった のです。
- 後から入ってた仏教を広めるには、神道のもつ祖先を 祀ることを最初に取り入れる必要があったと思われます。仏教そのものには祖先を祀る考えはなかったのです。
- 神道は「神の恵み」と「神の恩」で生かされているという
考えが基本にあります。
したがって、仏教のような修行は ないのです。 - ただ、神道では水の中に入って禊(みそぎ)をする。 水の力、神の力によって自分の穢(けがれ)れを 祓っていただこということであり、 修行ではないのです。
- その点も仏教とは異なる点であります。
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●水で浄める
- 神道においてみ滝に打たれて禊をするが、それは
水の力によって穢れを清めて
もらう儀式であり、 自力で行うこととは異なります。 - つまり水の持つ力、神の力を自分の罪も穢れわ祓って
いただこうという
考えなのです。 - 水に対する意識が西洋と異なるのは、入浴のときに 西洋人はバスの中で身体を洗うが、日本人はお風呂 の外で身体を洗い、風呂の中では身体を清める、 浄めるという考え方を持っていて、それが今日まで続いているのです。
- 水というのは、不思議な性質を持っていて、力を持って
いることを古代の人たちは
知っていました。 - 常温では液体だが、百度まで熱すると気体になり、零度以下では固体にもなる。
- 水蒸気となって空に上がってゆき、また雨となって戻ってくる。 これが水蒸気となって朝靄になり上昇していき、 循環する。
- 反面、どのような器に入れても形に収まるけれど、本質は変わらない。
- また、あるときは荒波、土石流となり、洪水を 引き起こす。 この水の性質というものは、日本の神道、日本人の生活の基本的な 考え方そのものなのです。
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●神道は縄文時代から
- 日本列島に日本人の祖先たちが移り住みついたのは50万年以上前と 推測されているが、土器の縄文様を 生み出した縄文時代は約1万4千年ほど前から 始まった。
- 神道は一万年以上前から日本に住みついた縄文人が 自然の恵みへの感謝と、すばらしい贈り物を与えて くれる自然への畏怖。畏敬を語り継ぎ、その中から 生まれたものです。
- つまり神道というのは、本来日本人の生活、知恵を指していたのである。 神道とは、日本古来からの考え方、生活習慣であり、 日本人の本当の自然観、人生観といったものを 伝えているものなのであります。
- 日本人は地理的に恵まれた風土で一万年以上も生活 してきて、研ぎ澄まされた感性を培ってきたのです。
- 日本の基層文化を形作っているといえましょう。
- 虫の音、セミしぐれ、散りゆく花、水のせせらぎ、 雨だれ、鳥の声、森などに対する見方、感じ方に独自の感性が 現れています。
- 仏教の「山川草木悉皆成仏」は、古代からの日本人の心を 仏教が取り入れたものなのです。
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●神社の立地の不思議さ
- 神社は神様を祀る場所であり、お寺より古くからありました。 神社が立地する場所は、当時の人々が霊的な直感で、地中から出る 波動エネルギーのある場所を選んだとしか思えません。
- そのことは近年地震を引き起こす活断層の所在が証明されて、 その結果多くの神社は活断層の上に建てられていることがわかってきました。
- 神社の下、地中深くから神の天然の波動を受けているのです。
- したがって、その神社から湧き出る水は、昔からご神水、霊水と呼ばれ、 最高の水として珍重されます。波動を 含んだ水だからです。
- これは日本人の優れた感性の部分であり、自然と共に生きてきた 民族の直観力なのです。
- また、神社は神聖な場所として開発を許さなかった。 そのことにより、植物、昆虫、細菌まで古代からの種が 残されました。
- また、神社がなかったらわが国の森の半分は減ったと 推測されましょう。
- 鎮守の森として神様のおられる森として、一般人には触れさせなかった結果なのです。
- 伊勢神宮と春日大社で行われている「式年造替」という儀式がある。 20年に1回造り替えていくのは、生命の原理を表して いるのです。
- 新しい社に生まれ変わる。伊勢神宮はこれまでに61回、1,220年に渡って 儀式を行ってます。
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●紀記にみられる神々
- 神道は「日本書紀」「古事記」から始まったとの学説が一般的であるはたして それは正しいのか?
- 「古事記」だの神の存在とはどのような意味であったのか?
- 日本の神は、気配であると言えます。
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●「古事記」での神とは
- 「日本書紀」と並びわが国の創生について書かれた「古事記」は、 稗田阿礼という記憶力の優れた人が伝承され暗記した歴史を太安万侶という知識人が漢字に 当てはめたものです。
- それを元に神道の歴史は始まったとする説が学者の間では一般的であるが、 それは正しくない。
- 稗田阿礼という語り部が話した言葉は、古来から伝わる部族の言葉であり 太安万侶はそれを理解して漢字に 当てはめたのであろうが、後世の人たちが漢字を翻訳しようとしたときには、 本来の意味を理解できなくなったのです。
- 例えば、「かみ」という言葉を太安万侶は「神」という漢字に当てはめたが、 日本語の「かみ」は敬語であり、「~さま」という尊敬の表現なのです。
- また、稗田阿礼が「つき」と言ったのを「月」に当てはめると意味が変わってくる。 「つ」というのは「丸い」という意味で、「き」は「奇」であって不思議という意味である。
- 「つき」は「丸くて不思議なもの」、つまり「月が形を変えて いくさま」を不思議なものだと表現したのです。
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●記紀神話の神々・・気配としての神
- 記紀神話(日本書紀、古事記)によればわが国の先住土着の神々、 その土地に住んでいる神を総称して国津神といった。
- 代表的な国津神は、出雲大社の大国主神、伊勢の椿大神社、輿玉神社、 猿田彦神社、出雲の佐太神社に祭られることになる猿田彦大神、また佐太大神である。
- 日本の神々は、その土地土地に鎮もっていて、元来は 具体的にその姿を表すことなどなかった。
- その土地の神々とは、現象としては気配にすぎないのである。 だからこそ、それへの恐れが持続したといえましょう。
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●霊魂の感じ方
- 縄文人は日本の風土の中で、草花、動物たちに魂が 宿っており、人間はそれらの魂と共に生かされている ことを感性で受けて止めていた。
- そのことは、様々な動物たちの土偶を作ったことで表しています。
- 縄文人たちの食料は、哺乳動物60種以上、貝類350種以上、 魚類70種以上、植物性食料55種以上にのぼる。現代よりも豊富な食料を 得ていたことがわかるでしょう。
- それらを調理するために作られた縄文土器の造型に当時の文化様式と思想を見て取れる。
- 特徴的な渦巻文様や雷文と呼ばれる文様は、生命の 循環、再生、自然の律動を表しており、自然に対する畏敬、 畏怖の念が読み取れるのである。
- 土器を単なる道具としてだけ造形せずに、当時の思想を土器類に文様と して造形したことで人々の思想、哲学が、祈りが込められているのである。
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●神道は日本文化
- 神道という信仰について今ひとつ理解できないことが ある人は多いでしょう。
- 神道が基本としている精神・心とはどのようなことか?
教義・教典、戒律をもたずに今日まで伝承 されている信仰の司っている
基本となる考え方とは? - 「古事記」や祝詞のなかに、古代においては、 草木も石も言葉を発していたという記述があります。
- 祝詞で定型的に使われている「言問い、岩根木根たち、草の葉」 という詞章にみられるように自然の霊性があるままに命の交歓を、 命のつながりを互いの連鎖としての言霊として詠われています。
- 自然の霊性の通じ合う感覚は、アニミズムやシャーマニズム的な見方と いえようが、むしろ科学文明に毒され忘れてしまっている、 人間の原初的な感覚、感性、霊性であるのです。
- 神道はそうしたアニミズム、シャーマニズムが持つ
原初的な霊性感覚を強く保持した日本民族の文化なのであります。 -
●言霊信仰
- 神道は言霊信仰に基づいています。
- 言霊信仰というのは、言葉に魂が宿り言葉を唱えることによって 霊力が発揮されるという考え方です。
- 「万葉集」に日本を「言霊のたすくる国」「言霊の
さきはふ国」と詠んでいることからも古代から、その信仰があったことを物語っています。
- 良い言葉を言えば幸せになり、悪い言葉を使うと不幸が やってくるという信仰は、神職が唱える祝詞に象徴され、 今日まで伝承されております。
- 神職は一般の人々とすべての神さまの間を取り持ち、 良い言葉、つまり祝詞を神様に伝え、それで神の恵みが現れて人々が 幸せになることを司っているのです。
- お祭りを執り行うのも神社の行事である。
- お祭りというのは、神様を喜ばせるために、まずは 祝詞で良い言葉を奉げることなのです。
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●命と神は同じ意味
- 命というのは、「イ」「ノ」「チ」とそれぞれの意味を持つ 言葉で構成されている。
- 「イ」は息、生きることであり、「ノ」は英語のOfで、 「チ」は霊、風、道、血液、乳などを表している。
- 「チ」という言葉には、霊的、精神的な次元から自然現象、 生命の根幹に関わる幅広い次元が含まれているのです。
- 風には風の命が、水には水の命があり、それぞれに神が存在すると 捉えられていた。
- 命と神が同じを意味を含んでいるというのは、このようなことからです。
- 神を表す枕詞である「千早振る」のチは命のチと同じです。
- 霊的、自然エネルギーが勢いよく早く振る、つまり活性化 するという命の勢いが盛んになる様を表しています。
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●神に近い存在
- 「となりのトトロ」で童女メイがトトロという森の主と会話し 通じ合うのは、古来より子供が最も神に近い存在であり、 神霊と交信する依代的(よりしろてき)、依童的(よりわらてき)力を 持っていることを示しています。
- 祭りの神事で、稚児行列や祗園祭りでの神霊の宿る依代となるのは、 子供が神に近い存在として尊崇してきたからです。
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●生活に息づく神道
- 神道が今日まで伝承され、日本人の生活に大きな影響を与え続けたことは、 思えば不思議です。
- しかし、神道のこころ、神道の司っている役割については、日本人でも 理解しているとはいいがたい。
- 神道のこころ、精神とはどのような形で実践されているのでしょうか?
- 私たちの生活にどのような形で入り込んでいるのでしょうか?
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●祭りの意味
- 祭りは、自然と人間と神々との調和を図り、その調和に対する感謝を 表明する儀式であり、神道が司る行事です。
- 祭りとは、第一に神霊の訪れを待ち、第二に収穫物や 自らの思いを供え、奉る。自らの持てる最も大切なものを奉げ、神霊に感謝し、その到来を待つのです。
- そして、その神々や自然、祖先たちの営みの大きな道に、自然律に従うことを 意味している。「まつろう」ことなのである。 神道の精神と具体的な実践は、祭りを通して表されるのです。
- 現代に受け継がれている祭りには、このような祖先たちの感謝の気持ちが 含まれており、その祭りを司っているのが神職なのです。
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●現代に残る行事
- 神道の行事で最も私たちの生活になくてはならないものは、正月である。 お正月は、「お正月さま」といわれる神霊や祖霊をお迎えする行事なのです。
- お餅をつき、鏡餅を床の間にお供えし、お雑煮を食べて、神霊の力とその年の魂、 つまり年魂をいただくことを意味したのである。
- お年玉とは、その年を無事健康で生きられるよう年魂をいただくという行為であり、 神様の贈り物なのです。
- 祭りというとひな祭り、子供の日の節句、秋のお神輿などを思い浮かべるであろうが、 正月七日の七草粥、十五日の小正月、二月三日の豆まきや節分、七月の七夕、九月 の中秋の名月などがあります。
- 十月の神無月には、神々が出雲の国に集まって神集いをする。 そのため出雲では十月を神在月といいます。
- また、十一月には新嘗祭、十二月には冬至の家庭祭祀をし、カボチャを食べたり、 ゆず湯に浸かったりして、大晦日には一年の罪汚れを祓い清める大祓いなど日本には 季節ごとに祭事があるのです。
- これらは、巡りゆく自然、季節と人々の暮らしを調和ある ものに結びつける人々の生活の知恵であり、祈りと感謝の気持ちを形に 込めている。
- 日本には、これらの祭事が千年以上に渡って伝承されて いること考えると神道のこころは日本人の生活に根付いていることを 思い知らされます。
- 御餅を搗き、鏡餅を床の間にお供えし、お雑煮を食べて、神霊の力と その年の魂、つまり年無魂をいただくことを 意味しているのです。
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- 参考文献
- 「日本多神教の風土」久保田展弘 PHP新書 「神道とは何か」 鎌田東二 PHP新書
- 「日本人なら知っておきたい神道」 KAWADE夢新書 「<神道>のこころ」 葉室頼昭 春秋社